一軍女子を見返してやると思ったとき

この記事は、学校を出た人に向けて書いています。

当時の教室で嫌な思いをして、 その気持ちがまだ残っている。 いつか見返してやりたい——

そう思うこと自体は、おかしなことではありません。 まずそこを確認したうえで、 その気持ちをどう扱うかの話をします。


見返したいという気持ちは、悔しさの置き場所

この気持ちの正体は、処理されないまま残った悔しさです。

当時、その場で言い返せなかった。 言い返しても状況が変わらなかった。 あるいは、何が起きているのか分からないまま時間が過ぎた。

そのときに行き場をなくした感情が、 「見返す」という形の予定に変わって残っているわけです。

だからこれは、性格が悪いという話ではありません。 まだ終わっていない、というだけです。


相手は、たいてい覚えていない

ここが一番やりきれない部分です。

当時こちらを傷つけた側は、 その出来事を覚えていないことがかなりあります。

意地悪をしたつもりがなかった、 その場の流れでやったことだった、 そもそも自分が何をしたか記憶にない—— そういうことが普通に起こります。

つまり、見返す相手の側に「見返される準備」がありません。 こちらが十年かけて何かを成し遂げても、 気づかれないまま終わる可能性が高い、ということです。


相手を基準にすると、時間の使い道が決まらない

もう一つ現実的な問題があります。

「見返す」を目標にすると、 何をどこまでやれば達成なのかが決まりません。

年収なのか、見た目なのか、家庭なのか。 相手が何を評価するかはこちらに分からないので、 ゴールの位置を相手に預けたまま走り続けることになります。

これは、しんどい割に終わりが来ない形です。

目標は、自分の側に置いたほうが決まります。 何をどこまでやったら自分が満足なのか。 そこだけは、自分で決められます。


忘れなくていい

「もう気にしないほうがいい」と言うつもりはありません。

嫌だったことを嫌だったと覚えているのは、 まっとうな記憶の働きです。 無理に消そうとすると、かえって残ります。

変えられるのは、記憶ではなく時間の配分のほうです。 思い出すこと自体は止められなくても、 そこに何時間使うかは、少しずつ選べるようになります。


まとめ

  • 見返したいという気持ちは、処理されないまま残った悔しさの置き場所
  • 相手はたいてい覚えていないので、見返しても届かないことが多い
  • 相手を基準にすると、ゴールの位置を相手に預けたままになる
  • 目標は自分の側に置くと決まる
  • 記憶は消さなくてよい。変えられるのは時間の配分のほう

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